vol.783 レッテル貼りというメソッド
2026-03-05
・izunaさんからのお便り⑬
・エゴのお祈り
・お祈りはどんどんしなさい
・正しいお祈りの仕方
・性根を正すこと
・俯瞰と干渉
・自分の良心に問う
・レッテル貼りというメソッド
・肉体はアバター
・レンタカーを改造する人はいない
本日の動画の内容
1.祈りは自由 だが質が問われる
祈り自体は否定されるものではない
しかし多くは 自分の願望に基づいたエゴの祈りになりがちだ
それでも祈りと言うのは、祈りにはエゴを昇華する力があるからである
変えるべきなのは祈りの言葉ではなく、祈る側の想念と心の在り方だ
2.自分の祈りを俯瞰し 良心に問う
「これは本当に正しい祈りか」
「ただのエゴではないか」と他人に問うのではなく、自分の良心に問いかけることが大切だという
祈る前に一度立ち止まり、自分の動機を観照する
3.レッテルを貼ることでエゴを見抜く
感情や欲望に対して「これはエゴ」「これは美醜のレッテル」とラベルを貼ることで
それらを客観視できるようになる
嬉しい 嫌いだ 欲しいという反応は本当の自分ではなく
肉体とエゴが神経信号に反応しているだけの現象だと理解できるようになる
4.肉体は借り物の端末である
肉体とエゴは「本体」ではなく、人生という学びのために宇宙から貸し出された端末である
レンタカーのようなものであり、メンテナンスは必要だが過剰な装飾や改造に執着するのはおかしい
洗練させるべきは車体ではなく、運転している本体のほうである
はい何でもかんでもね、お祈りしてもいいかつーと良いんですよ。
何でもかんでもお祈りしても良いんだけども、そこに一つ大事な要素がないとエゴは、エゴになっちゃうお祈りもあるってことですね。
ほとんどはエゴになっちゃいます。
でもそれでも良いんだよ、まずはお祈りやりなさいと。
なんでかっつうと五井先生のお祈りはそのエゴのお祈りを昇華させてく力があるから。
ただし宇宙全史がここに降ろされたってことは、で古川君が五井先生の弟子になったってことは、正しいお祈りのやり方を教えるために来てるわけです。五井先生のね、お祈りを。
五井先生のお祈りは正しいよ?正しいし何にも変える必要はない。
変える必要はないけど変えて欲しいのは あなた方。
あなた方の思い。想念、心持ち、性根だよはっきり言って、本当に。
いい? いつまでも自分の思い通りに。例えばどっかの天満宮とかどっかの神社行って合格させてくださいとか、会社に入らせてくださいとか、あの人と付き合わしてくださいなんていうそういうお祈りばっかを世界平和の祈りに込めちゃダメだよっていうこと。
それは五井先生はそういう風におっしゃらないけど、目風はそういう風に言うわけ。
じゃあどうしたら良いのかっつったら、俯瞰しなさいと。
観照しなさいと自分の祈りを。
これで本当に良いのかって、これはエゴの祈りじゃないのかっていうのを、人に問うんじゃなくて自分に問う。
観照するってことは自分の良心に問うて見るってことだから。
そうでしょ?
全部自分でできるの。
人に問わなくても、自分の良心に問うて、それでオッケーが出たらお祈りすれば良いんだよ。
わかった?
そういうことよ?
で、えーっと。でね。
なんだろう?
レッテル貼る?なんだろう?
なんかレッテル……まあレッテルで良いんかな?分かりやすい言葉で言うと。それで良いって。
レッテルを貼れば良いんだよ。
例えば「あの人は綺麗だ」と思った時に、あ、これはエゴ
だから「自分の筋肉を肥大させよう」
これもエゴっていう、こうレッテルを貼るんですよ
で そうしてくと分かりやすい
あ、あれはあのレッテル、あのレッテルだったな。あれ貼ったのは美醜のレッテルだったなとかさ。
とね、ずっとそれやってると、だんだん嬉しいとか嫌だとかいう感情を自分のものだとは思わないで。
肉体とかエゴ、エゴですよね。エゴが電子信号、神経の神経信号に反応している単なる信号だというふうにだんだん理解できるようになります。
要するにレッテルだラベルだってそれは自分の思いじゃない、本当の自分の思いじゃないってのが分かってくるから。
そういうふうにやってくとizunaさんは良いかもしれないよね。
そうだね。
izunaさんの質問はそれぐらいかな?
だからこの肉体、エゴはアバターだと思うんだよね。思えば良いんですよ、自分の。
で、これはもうエゴという枷に反応して、エネルギーを放出その時したなと、そのレッテル見てね。これでエネルギー出した、エネルギー出したと。
でこれは、このエゴは、この肉体はもう借り物の端末だと。借り物のパソコンだと、そういうふうに認識してほしい。
それを徹底してく。
肉体は自分自身ではなくて、今回の人生という学びのために宇宙からリリースされた端末なんだと。
いつかは返さなきゃいけないし、いつかは壊れてしまうよ。
実際そうでしょ?死んでくわけだからね、この肉体は。
メンテナンスは必要よ?もちろん。
ただ過剰なメンテナンスとか、過度な装飾だよね。それはね、いらない。
普通にメンテナンスしとけば 良いんだよ。
これは要するにレンタカーで借りた借り物だから。
あなたはレンタカーを、あなた方ね。レンタカーをなんつうの?マフラーをでかくしたり、あるいは窓に貼るなんだあれ、なんかマスク貼ったりあるいは改造したりしないでしょ?レンタカーに。
これはレンタカーなんですよ。
レンタカーにそんなことしてもしょうがないから。
でもレンタカーの中に乗ってる自分、本体だよね。
それは一生懸命、自分自身で洗練させてけば良いのよ。
だから洗練させるとこが違うのね。
そこが分かるかどうかというとこです。
はい 今回はここまで。
あとがき
この話の核心は「祈るな」ではなく
「目を覚まして祈れ」ということだと思います
肉体のエゴは誰にでもある
しかし それをそのまま正当化し続けるのか
一歩引いて観るのかで
人生の質は大きく変わる
感情も欲望も すべてを自分そのものだと思い込んでいる限り
肉体というレンタカーに必死で改造を施し続け
エゴを肥大させ続けることになる
でも本当に磨くべきなのは
ハンドルを握っている意識のほうだ
あなたは車体ではない
あなたは端末でもない
それに気づくための道具として 祈りがある
そこまで踏み込めるかどうか
そこが分水嶺なのだろう